自分の本を出したい!

本を書きたい人がテーマや内容を考える為のきっかけを書きたいと思っています。

やりたいようにできる?

想像してください

 

神様があなたの目の前に現れました

 

神様は優しく微笑んでこう言います

 

「あなたがなりたいものはなんですか?

 

 なりたいものになれる力を与えますから

 

 教えてください」と。

 

どうでしょう?

 

この問いに対する答えをすぐに出すことができますか?

 

僕は全然答えがでません。

 

あれが良いかもってものはいくつか出てきますが

 

これだって答えは出てきません。

 

この答えがでない理由って

 

お釈迦さんが言った縁起と呼ばれるものに答えがあって

 

自分が手を指し延ばせば

 

助けられる人が目の前にいて

 

その人を助けるために動くとかっていう動機でしか

 

人は動かないってことなのではないでしょうか

 

人は自分が今いる場所から

 

わらしべ長者のように次の場面を手繰り寄せていくしか

 

次に進めないっていう。

 

だとしたら

 

目指す場所があるとしたら

 

今いる場所とそこを「今あるもの」でつないでいくしかない。

 

僕のまわりには何があるのだろう。

 

そのことをちゃんと考えることにします。

 

 

 

 

 

ナマケモノの言い分

もー、何もしたくない・・・

 

というか、もっと正しくいうと

 

しなくちゃいけないことを、もう何ひとつしたくない。

 

やりたいことだけをしていたい。

 

こうやって書くと阿呆みたいだけど本当にそう思っていて、

 

何もかもが面倒臭いのです。

 

1年間くらい、グータラして暮らしたい。

 

この機械化された世の中で

 

便利になったと言われる世の中で

 

1年間のグータラさえも手に入らないのかと愕然とする。

 

今まで何回か書いてきたことと矛盾しているかもしれませんが、

 

僕の中ではどれも本当で、人は時々にいろんな感情に襲われます。

 

自分はこうでなくちゃという枠に自分をはめてたら生きていけない。

 

それで、ナマケモノの僕は時々皮肉を込めて考えます。

 

「人間は誰からも催促されなかったとしたら、飢え死にするの?」

 

ってことを。

 

きっと、そんなことはない。

 

ものすごくお腹が空いたら頑張って食べ物を探すと思う。

 

でも今は、今の世の中はお腹が空いたからって

 

狩りに出かけるわけじゃなくて、

 

食うための何もできなかったら

 

生活保護とかの申請をするわけです。

 

これが現代の狩り。

 

今の時代の狩りだ。

 

これがポジティブに働くと社長とか総理大臣とかになって、

 

ネガティブに行くと生活保護になるだけの違いで、

 

今の時代の狩りという点においては

 

ふたつは大して違わない。

 

と僕は思う。

 

その間に、

 

会社員になるとか

 

作家になるとか

 

ユーチューバーになるとか

 

スポーツ選手になるとか

 

たくさんの職業がある。

 

でも、全ては今の時代の狩りだ。

 

そんなことをただ考えています。

あなたが必ず成功する方法を教えます!

僕は今39才なのですが、

 

僕が社会人になった頃は社畜なんて言葉は、

 

その影すらなかった。

 

どっちかといえば前衛的で、

 

世の中を斜に構えて見ている人たちの言葉だった。

 

あるいは、ちょっと革命的な雰囲気を持つ人の言葉だった。

 

と思う。

 

同世代の方たち、どう思いますか?

 

 

でも、今は社畜って言っても、そんなに危険な匂いはしない。

 

むしろ、ちょっと自分を道化にして遊んでいる感じでさえある。

 

社畜

 

この言葉は会社員や雇われの身である者は奴隷であるって意味だ。

 

実際に、若い頃は特に、会社に所属していると丁重には扱われない。

 

というか、乱雑に、乱暴に扱われる。

 

まるで、試されているように。

 

学生が校則を守れるかどうかを試されるように、

 

それに耐えられるかを見極められる。

 

耐えられるかどうかだけじゃなくて、

 

その状態で、縮こまることなく、成果を出せるかを試される。

 

昔、小沢健二が、芸能界では鼻っ柱が強くないとやっていけない

 

と言っていたが、

 

それは会社員にも当てはまって、

 

つまり、ごく一部のものすごく運が良い人たちを除いて、

 

社会では鼻っ柱が強くないと生きていけない。

 

ところで、

 

正常な感覚を持っているならば、

 

そんな野蛮な会社から外に出ようと思うはずだ。

 

自分一人で仕事ができればどんなに良いだろうと思う。

 

それで、インターネットで検索してみる。

 

独立

 

とか

 

インターネットビジネス

 

とか。

 

すると、出てくる出てくる、

 

「あなたが必ず成功する方法教えます!」

 

みたいな情報。

 

情報に見せかけた誘導。

 

社畜から逃れたくて、藁をも掴みたい人たちに仕掛けられた

 

蟻地獄。

 

いや、いや、こういう人たちの中にも、もちろん素晴らしい人もいます。

 

でも、玉石混合。

 

ましてや、僕たちが受けてきた教育は、

 

いかに良い社畜になるかっていう教育だ。

 

そんな僕たちが、いきなり、ビジネスなんて目にするものだから

 

言ってることが本当か嘘かもわからない。

 

親も商売をしていた、とかなら、また違うのだろうけど。

 

だから、と言えばいいのか、

 

言いたい放題だ。

 

瞑想すれば成功しますとか

 

イメージすることが大切だとか

 

心理学を学べば良いとか、

 

FXで儲けたとか

 

いや株だとか

 

ネットワークビジネスだとか

 

コミュニティを作るのですとか

 

本を1日10冊読めとか

 

異業種交流会に参加せよとか

 

とりあえず名刺を作れば良いのですとか

 

とにかく星の数ほどメソッドが生まれた。

 

その一つひとつがコピーライトであり、

 

誘導なのだろうし、

 

ある意味で、その人にとっての正解だったのだろうけど、

 

成功法を学ぶってのは、

 

自分で自転車に乗れた時の感覚を、他人から、言葉で学ぶようなものだ。

 

さて、ここで実験します。

 

今、あなたは自転車に乗れると思いますが、

 

乗れないと仮定してください。

 

その上で、

 

今から僕が自転車に乗ることに成功するコツを教えます!

 

①まずは左右のバランスを意識するより前に意識を向けることが大切です。

 

②自転車は漕げば漕ぐほど安定します。

 

③曲がるときは体を曲がりたい方向に傾けてください。

 

さあ、これであなたも明日から自転車に乗れます!

 

えーっと、どうでしたか?

 

乗れそうな気がしてきました?

 

たぶん、よくわからないと思うんですよね。

 

あるいは、自分ならこう教えるなーってのがあると思います。

 

人に何かを教えるってのは、自転車に乗る方法でさえ、

 

こんなに難しいのです。

 

ましてや、自分の力で生きていく方法!をそんなに簡単に教えることが

 

できると思いますか?

 

その唯一正しい方法は、

 

トライ&エラー

 

と成功している人の見よう見真似

 

でしかないとい思います。

 

なんどもなんども転んでは、その感覚を掴もうとした子どもの頃みたいに

 

自分が生きる術を手探りで探すしかないみたいです。

 

それで、自分のことを言うと、

 

そう言った蟻地獄にある程度ハマりながらも

 

もがいて脱出したりして、

 

これが将来どうなるかもわからないけれど、

 

本を出したいって人の手伝いをすることにしました。

 

それは打算や成功から一旦距離を置いて、僕が考えうる

 

人生を良くするたったひとつの方法。

 

初めて自転車に乗れた瞬間をもう一度味わいたくてやっています。

 

自分の本を出したいって方は一緒に話をしてみませんか。

 

楽しいし、人生が良くなると思います。

 

連絡を取りたい方は

 

morikuma07@gmail.com

 

まで。

 

雑談でもなんでもどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

継続は力だとは思うけれど

よーし!今日から毎日筋トレするぞ!

 

と決意をすることって誰でもあると思います。

 

今は1月だから、新年の抱負を掲げた人も多いと思います。

 

今年は転職するぞ!

 

とか

 

今年こそ彼氏を作りたい!

 

とか

 

人はいろんな決意を何回もします。

 

動物はそんな決意をしません。

 

たぶん。

 

明日は大物の狩りをしてやるぜ!

 

とかライオンは思わないですよね。

 

たぶん。

 

なんで人は何回も「決意」するのでしょうか。

 

それが続かないと本当は自分でもわかっているのに。

 

決意するってのは、

 

「憧れる」ってことが原因な気がします。

 

太っている人は痩せている人に憧れて、

 

彼氏がいない人は、いる人の話を聞いて羨ましいと思ったり、

 

今の自分とは違う何かに憧れて、

 

今の自分はダメだって思って、

 

変わりたいと思う。

 

 

でも、今の自分には、手が届かないとわかっている。

 

 

ここで、人は2つのタイプに分けれると思っていて、

 

ひとつめのタイプは、

 

ここできっぱりと諦めるタイプ。

 

そして、

 

ふたつめのタイプは、

 

自分の中の正解を「憧れ」の方に移動する変えてしまうタイプ。

 

あなたはどっちでしょう?

 

そして、どっちが幸せなのでしょう?

 

僕の個人的な感覚では、幸福に近いのは諦めるタイプの方な気がします。

 

そして、もっと幸福なのは、

 

諦めずに憧れに手が届く人で、

 

もっとも惨めなのは、

 

諦めずに頑張って、それでも憧れに届かない人だと思います。

 

それで、「決意」を何回もする人ってのは、この

 

「諦められなくて、届かない人」

 

なんじゃないかと思うのです。

 

「決意」ってのは、「なぐさめ」に似ている気もします。

 

決意することで、今の自分から大きく変わることもなく、

 

諦めることもなく、ちょっと気持ちが安定するっていう感じ。

 

つまり、

 

本当に自分を変えてしまおう!とは思っていなくて、

 

自分は変わらないまま、心の安定だけが欲しいと思っているのです。

 

憧れを手にいれる人は、方向を決めてしまったら

 

もはや憧れじゃなくて、

 

そこへ向かうことが日常になります。

 

その結果として外から見えるのが「継続」って形なのだと思うのです。

 

「決意」が続いているのではなくて、「日常」に変わっている。

 

自分の中の普通が変わってしまっているというか。

 

だから、憧れを手にするためには、

 

「継続」しようとか「決意」するんじゃなくて、

 

「自分を変えてしまえる」かどうか、じゃないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真より実物の方が可愛いわけ

芸能人を実物で見たことがありますか?

 

それか、写真で見ただけの人と会ったことはありますか?

 

多くの人が共感してくれると思うのですが、実物の方が良かったと思うとおもうのですが、どうでしょう?

 

これってなんでだと思いますか?

 

正しい答えは僕にはわかりませんが、テレビとか写真で見る時って、完全にリラックスしているから冷静に見ると思うんですね。

 

でも、実物と会うときは、ある程度緊張もするし、気持ちも動くわけです。

 

気持ちが動いている時って、冷静な判断ができないから、雰囲気ってものを感じます。

 

雰囲気イケメンとかいうのも、そういうことじゃないでしょうか。

 

人に良い勘違いを起こさせるのは、気持ちが動いているから。

 

では、言葉で、文章で、書いた時に魅力を感じる人物ってどんな人でしょうか。

 

これもやっぱり、感情移入できるキャラクターや描写が関係しているように思います。

 

いわゆる黒澤明の影響を受けて、キャラクターに感情移入させることに成功した宮崎駿のアニメみたいに。で、客観的に淡々と描く高畑勲みたいなのは、通には受けても、万人には受け入れられないってことです。

 

作品なんてものは見てくれる、読んでくれる人あってのものなんで、やっぱり読んでもらいやすくする努力ってのはした方が良いのだと思います。

 

そのためには、人が普段どういうことを考えていて、どういう判断をするのかを徹底的にシミュレーションして、

 

読む人の感情を揺さぶって、

 

いかに冷静さを無くさせることができるかが勝負な気がします。

 

 

 

生まれる前から決まっていること

人間にはネガティブになってしまう時があって、そんな時は何をするにも自信がなくなる。

 

それで、僕は時々、中学生くらいに戻ってやり直したい!ってことを思ったり、仲の良い友だちに言ったりするのだけれど、ネガティブモードの時にどう思うかと言うと、

 

僕が僕のままで中学生に戻ったとしても、結局同じくらいにしかならないよなって思う。

 

もはや、やり直して良くなっているという期待すらなくなってしまっている(笑)

 

いや、まったくエフィカシーが低い話です。

 

 

で、反対に調子が良い気分の時もあって、そんな時はなんでもやれるし、どんな人でも仲良くなれるし、困難にも立ち向かえるようになる。

 

 

ん?躁鬱?

 

そういう気がしないでもないが、そんなカテゴリー分けに付き合う気もないから、特に判定はしない。

 

 

でも、どこかで読んだ対談本の中で、指揮者の小澤征爾さんが話していたことで、

 

「日本人は、自分が調子良い時はものすごく偉そうになるし、ちょっと自分が相手より下だと、うんとへりくだってしまう」

 

というようなことを、確か、大江健三郎さんとの対談でだったと思うけど、そう言っていた。

 

これは、まさしく僕のことかもしれない、と思う。

 

というか、これが当てはまる人は、周りを見渡すと結構多い気がする。

 

所詮、人間なんて、生きて、死ぬだけ。ってのは僕が言った言葉で、

 

勝ったの負けたの、お金を稼いだ、稼いでないって言ったって、たかだか50年とかそこらの話で、所詮、生きて、死ぬだけだ。

 

だから、わざわざ汚いことをして人よりわずかばかり金を稼ぐとか、誰かを蹴落とすことに力を注ぐ必要はないと思う。

 

勝負には負けてあげれば良いと思う。

 

それで人間関係に快適さがもたらされるのであれば、そっちの方が良い。

 

勝ったところで、居心地が悪いだけだ。

 

人に対しての勝った、負けた、じゃなくて、自分の道を極める方が良い。

 

消費するより、生み出す方が良い。

 

勝ったも、負けたもない、ただ生きた軌跡を残すように。

感動のストーリー、探していませんか?

面白い漫画を読んだ時とか、感動する映画をみた時なんかに、

 

「あー!いま充実してるなー」って思うあの感じ。

 

その感じが欲しくて、新しいなにか、新しいなにか、と探し続けてしまうことはないですか?

 

それは人に共感する力であるし、現実ではない仮想現実の中にリアリティを持てる力でもあって、とても良いことだと思う。

 

嬉しさであれ、悲しみであれ、怒りであれ、寂しさでもいいけど、人はとにかく、感情を揺さぶられるとひきこまれるという性質があるようだ。

 

あとは、ギャンブル性のあるもの。絶対の未来ではなくて、ドキドキしながら見る未来。

 

絶対王者が順当に勝ち進んで優勝を勝ち取るストーリーに魅力はない。

 

ドジでダメな主人公が、秘めたる才能を見いだされ、努力の末に開花したかに見えたけれど、強敵に敗れ、挫折を味わう。やさぐれて拗ねていた主人公を偶然会った恩師がみて、ヒントを与え、もう一度歩き始めて、強敵を倒す。

 

意外性と、落胆と、応援と、達成感と、高揚と。

 

そのストーリーに身を投じていれば、自分は1mmも動くことなく、その気持ちだけ味わうことができる。

 

明日、頑張ろうかな、と思ったりする。

 

なんども言うけれど、それは全く良いことだと思う。

 

でも!

 

事実にも目を背けてはいけなくて、

 

その時、

 

現実世界の自分は1mmも動いていない!

 

そして、動かないまま、次のストーリーを探し出して、消費する。

 

リエーターがそれをしてしまっては、もはや消費者でしかなくなってしまう。

 

世界の娯楽を食べ尽くすほどの財産があって、自分はなにも生み出したいとも思っていないならそれも良いかもしれないけれど、

 

明日生きるためにご飯を食べなきゃいけないし、

 

良いものを生み出す充実感も味わいたいなら、

 

自分で手を動かすことから始めることだ。